2019年12月5日木曜日

転載)嘗ての師は今や労働組合員・「仰げば尊し」が歌われなくなって当然だよな


戦前、戦中、多くの教員は師と崇められた。

戦前は国体の後継者へ、戦中は鬼畜米英相手に負けない、力強い子供らを育むための教育に知力を注ぎ込む師だった。

そうした背景に彩られ、仰げば尊しは、1884年(明治17年)に唱歌として広くお披露目された。

「蛍のともしび つむ白雪」

…つくづく美しい詞だ。



今では殆ど、一頃の騒がしさはなくなったけれど、卒業式場での国旗排除、国歌拒否という日教組・組合員、一部では共産工作員どもの荒くれ振りは全く痛々しかった。

終戦後、連合軍は日本の戦前教育払拭の一環として教員組合の統合を図った。

そこで生まれ落ちたのが日本教職員組合。

「子供を戦場に行かせない、子供に銃を持たせない」をスローガンに誤った反戦機運を戦後社会に作り上げた。

が、最も大事なことは、戦いなくして平和はない、ということ。

それは日本の歴史、世界の歴史が悉く証明してる。

それこそ、いつ攻めてきても不思議じゃない近隣の極潰し国家に備える以外に、真っ先に餌食にされてきた「子供」を守る手立てはない。

そして、愚の骨頂なのは、平和時に戦争を否定してしまうこと。

虫も鳥も、どんな生き物も、生き長らえてる物は、所詮、犠牲になった物の上に胡坐をかいてるにすぎなくて、
戦争を否定してしまうことは、その犠牲の意味さえ葬り去る。



1996年(平成8年)、戦後日本に生まれた自虐史観が盛んに問題視されるようになった頃、文部省は、学校での国旗掲揚、国歌斉唱への強化に取り組み始めた。

それに反発したのが日教組。

が、TVに映し出された当時、卒業式場で荒くれる当事者らは、簡単に身の危険が及ぶような場所でない、聖域・学校内ですら悠々とできず、卑小な共産主義者ように、不安で険悪に顔を引きつらせ、この世の終わりって表情で、むしろ、違和感を強く滲ませてた。

それもその筈、国旗排除、国歌拒否はテロリズムだ。

一皮むけば共産テロリストでしかない集団は、
戦前教育の誉に怯え、大意に唾する後ろめたさ、国威を足蹴にする罪悪感に苛まれてたとしても全く不思議じゃない。

日本人である限り、先祖から受け継いだ和魂が、そう易々と体内から炙り出せるはずはないから。

とは言え、実質テロリストを教育現場に置いとけるわけはなく、現在に縮小を続ける日教組の限界が露呈してる。



以前は教師、今は教員。

が、仰げば尊しは教員どものテロ攻撃に見舞われながら、辛うじて僅かに生き続ける。

これは、もしかしたら、学生諸君の「慕い」の表れじゃないんだろうかとも考える。

諸君は臆せず、師を求めろ。

年が明ければ卒業シーズンは目前。

ってことで、皆さま、ご一緒に♪






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