正義が貫けられなきゃ平和は来ないし、正義を貫くのが戦争なんだよ。
そして、大同につくため、どんな犠牲に是非も無しさ。
男だって泣いたって良い。
火垂るの墓を観て泣くのも良い。
でも、泣くだけ泣いたら、その後は真摯に正義を貫け。
実話が元にされてるという「火垂るの墓」の原作者、野坂昭如氏は、2015年12月に85歳で亡くなった。
生まれは鎌倉。
直に母を病気で失い、一人、神戸へ養子に出される。
その後、女子がそれぞれ養子に迎えられ、野坂氏は二人の妹の兄となった。
上の妹が病死したあと、神戸は大空襲に見舞われ、14歳の野坂氏は1歳半ほどの下の妹、恵子と共に福井県春江町へ疎開する。
火垂るの墓で描かれたのは、この大空襲から恵子に続いて兄が「餓死」するまで。
が、実際に兄である野坂氏は生き残ってる。
そこにある、「ウソ」によって、彼は、この物語が妹を死に追いやったのは自分であるという自己嫌悪から逃れるための作品化であったことを告白することになった。
それが以下。
ユーチューブ「野坂昭如の自己弁護小説
『火垂るの墓』 「昭如」と「清太」の違い」詳細から。
https://www.youtube.com/watch?v=hjoSgGVGlzo
「妹の食べるものを僕自身が奪って食べて生き延びたということのほうのね、負い目のほうが、戦争とか何とかよりも、はるかに僕個人にとって大きな・・・まあ、負い目と言うと大げさですしね。
普段、僕なんか大変調子よく生きているわけだから、自分だってほとんど忘れてはいるわけですけども、まあ、年に何度か思い出すわけね。
それが小説っていう形で嘘をついたためにね、逆に非常に深い傷になって僕の中に残っちゃいましたね。
本来なら、僕はもっと残酷な兄貴だったんですね。
で、残酷な兄であることを逃げて、小説を書いて、その小説によって僕は今、稼いでいるわけで。
で、またアニメーションになれば、またお金が入るかもわかりませんね。
それで僕は贅沢をするかもわからないですね。
で、もう、なんか二重三重にね、鬼畜米って言われてた相手から家畜の餌をいただいて僕は生き延びているわけだし。
一方においては、自分自身が食べるべきものをかっぱらって生き延びながら、そのかっぱらった相手を小説というようなものに仕立てて、また金を稼いでるわけです。
しかも、その時に、あたかも自分がそうであったかのごとき主人公を設定して自分を甘やかしているっていうか、そういった、すべての、なんか、自分の営みの負い目を今ここで直面しなきゃならないっていう感じで言うと、僕にとっては非常に苦痛は苦痛なんです。」
また、彼は泣き止まない妹の頭を殴りつけたそう。
すると不思議に泣き止んだんで、何度も繰り返したとか。
首の座らない幼児は、頭を殴られると一瞬でも失神することがあると、あとで聞いたと打ち明けた。
兄の仕打ちに成す術もなかった骨と皮だけにやせ細った恵子ちゃんは、ある日、野坂氏が風呂から帰ったら亡くなっていたそう。
風呂?
そう、洞穴生活もフィクション。
この事案は、戦争被害に是非も無し、っていう点を象徴してると、おっちゃんは思う。
戦争の真っただ中で14歳の少年が血の繋がらない1歳半の幼女を育て上げられただろうか?っていう疑問と、
しかし、兄は妹の食い物を奪って生き残ったじゃねぇか!っていう事実にある「是非」の部分。
あるいは、戦争中でなくとも、彼は泣き止ますために妹を殴り殺していたかもしれないっていう悲惨さも含め…
つまり、
仮にジブリが火垂るの墓を反戦映画として制作していたとしたら、それはウソにウソを上塗りしただけってことさ。
それで良しとするなら、この場合、悲惨さっていう反戦映画の根拠は失われた。
で、いつまで観れるか分らんけも、映画・火垂るの墓を。