2015年6月13日土曜日

京大出でイエール大学院出の大先生特設リング2: 待ってんだけど?


それにしても無駄な学歴っちゃあるもんだな。

京大には、消費税増税に反対してた先生がいた。

立派な人間もいるのにな…


そっちが遣れるのは、せいぜい、中二レベルの他人の面汚しに書き捨てか?

が、こっちは、ガキでも書き捨ては許さない。

日本人の低脳化を憂いてる暇があったら出てきな。

日教組学歴、白人学歴がどれほど無駄か、そっちが言う低脳日本人がどれほどマトモか、子供らが直視できるよう、己をリアルタイムで晒しに来な。


2015年6月12日金曜日

特設リング: 「釣りをする人って、歴史に興味は無いんだな」へ本気返答


ガメチンの某所に某人から上タイトルの文言が投稿された。

それこそ、釣り好きの歴史学者なんて幾らもいるだろうから、「だな」で決めつけたのは、全く単純な誤解だ。

某人が、それを理解できれば、それで済ませるが、
ガメチンをからかってたり、ケンカ売りたさにゴロツいてきたんなら、トコトン相手してやる。

ありがてぇだろ?

で、今後のためにも、ここを作った。


こっちの言い分としての、先ずは、自分の歴史観と、ガメチンHP上での扱い方。


自分にとっての日本、及び佐渡島史は、楽しみじゃなく、痛みなんだよ。
憂いであって、不憫…


例えば、日本の支那影響による仏教伝来。
近代以降、時代の節節で困難とブツかりながらも、総じて、仏教は、皇室の恩恵による、国民の並々なら厚遇を受けながら、発展してこれたと思う。

が、果たして、僧らは、皇室や国民の思いに応え続けてきたのか?
支那の思想と言い換えられた蛮性に塗れ、感けてこなかったと言えるのか?

しがない自分のウン十年の人生経験からは、強く、そこへの疑念が湧き上がってる。


また、
佐渡金山は、世界遺産化への宣伝文句の通り、ホントに徳川300年を支えた、或は、世界最大規模鉱山として日本が誇るに相応しいものだったのか?

だったら、無宿を理由にひったてられ、重労働と水害に泣く鉱夫らの、無縁仏として忘れ去られるしかなかった哀れな末路は何だったのか?

佐渡奉行として鉱山下に「相川町」を造った大久保が意気揚々と采配を振るえたのは、せいぜい4-5年。
採掘が進み、山の変化が大きくなるにつれ、坑道は度々水害に晒され、採掘量に影響するようになった。
最大問題は、地下水じゃなく、雨後の鉄砲水。

大久保の残りの5年は、この水害対策に費やされながら、確たる効果を出せず、その責任を問われて任を解かれるに至り、
それ以降の金産出量は、縮小の一途を辿る。

この佐渡で、
国政が持たざるを得ない国家主義的部分と、民衆の弱性生活観が成す人道主義のブツかり合いが表面化するのは、明治に入ってから。
発端は、米騒動。
それが、鉱山労働者が先導したとされる、相川暴動へと繋がった。

が、
国家は国家でなければならず、国民は生活せねばならぬ個々の時代において、現代が、善悪、良し悪しに分け、断罪できる筈がない。

時代の哀れ、痛みとして、後の国民は、それを受け入れ、論ずるより黙って手を合わせるべきで、
現代おちゃらけ大衆主義塗れの大馬鹿のオタ公どもが、佐渡・観光協会サイトの如き、「遊女は相川名物?」などと、その断片を嘲り、からかい、笑うことを、時代を受け継ぐ者は放置してもならない。


もう一度書く、
日本、及び佐渡島史は、楽しみじゃなく、痛みなんだよ。

その自分の痛みを、たとえ自分のHPでも、一部に仄めかすことがあっても、これ見よがしに巻き散らかさない。

佐渡の釣りを楽しみたい人を、より優先してるのが、ガメチンHP、16年の誇りだよ。

佐渡汽船リンクは、さすがに無ぇけどさ。


普通の人の心とか、想いにはな、
他人が知る由もない、長い長い葛藤の変遷ってものがあるんだ。

黙ってるからって、そっちと違って、誰も単純じゃねぇんだ。

そっちの頭で決めつけられる何1つとして、世の中に無ぇと思え。


2015年6月11日木曜日

半年ぶりのデジイチ購入レンズはAF VR Nikkor 80-400mm f/4.5-5.6D


昨日、昼飯を食いながらフジヤカメラ・サイトを覗いてたら、ランクAの77760円がアップされてて即買い。

サイトじゃ、配達希望日の最短が翌々日から。
今日の午前にクロネコで追跡かけたら近所の配達店で「保留」になってた。
クロネコ・サイトじゃ、会員はサイト上から、チョロチョロっと配達日時が変えられるってんで、昼過ぎに届けてもらった。

付属品はフードと三脚座のみ。
ちっと悲しかった…



でも、モノは使用感ゼロのピカピカ。
レンズはテカテカ。
フードの内側だけ、僅かなスレが2つほど。
多分、逆さ収納する時のだね。

重量は1,360gで、思ったほど重くない。
D700とのバランスは良かった。
何しろ、このレンズのコンパクトさが楽しい。


注意点:
手動絞りのDレンズをデジイチで使う場合に、レンズ側で設定が必要。
でないと、カメラ側に「fEE」とエラー表示が出てシャッターが切れない。

絞りリングを回して最小絞りに。
それを固定するため、リング前のボタンを下にズラし、「L」字位置に合わせる。



これで、通常通り、シャッター、絞りの設定が可能に。


で、400mmでの初撮り。
部屋で寝そべって、手持ちの1/8秒、開放、(暗くてAFが効かなかったので)フォーカスエンドを駆使したMFで「天井」を撮ってみた。

ま、幾らかはブレてるんだろうけど、これがVRパワーってことだよね?



さて、
「佐渡汽船・さよならの日まで」ブログのための機材は揃った。

後は、両津辺りに住み着くだけ。


2015年6月9日火曜日

愛国配送・甲斐路: 配送先は増えて、賃金むにゃむにゃ…


今日から八王子の山の方を回って山梨へ。

だから早く出る。

マップを見てたら、陣馬から上野原へ抜けられる林道のようなのがあった。
でも、荷を積んで行けないよな。
おっちゃん、超方向音痴だし。

帰りもサッサと家路を急ぎたいから、ダメ。

いつか、20号線で反米暴動でも起きてたら、迂回路に通ってみようか?

大渋滞してたりして…




2015年6月8日月曜日

転載) 安保法制: 安倍の改憲論は米国による日本国憲法の修正案さ


バカな学者ども。
安保法制が違憲である筈がない。

この法制は、現日本国憲法の生みの親、米国への従属に、国会が法的根拠を与えるというもの。

現憲法に流れてる血は、米国の血だ。

米国が風邪をひけば、安倍どころか、日本の憲法が風邪をひく。

それこそ、非道の限りを尽くし、日本を泥沼に追い込み、東京裁判を経て、現日本国憲法創設上で謀られたのは、アジア支配の拠点、日本の米国主義化。

その制定は、白人圏によるアジアへの大きな一歩だった。

そして、
今、日本人自らの手で、その制定意志を尊び、それに則り、日本の米国奴隷を立法化し、恒久的に常態化しようとする安倍の何処が、現憲法に反し得るのか?

安倍の存在こそ、
正に米国が望む通りのもの。
それこそ、正に米国産日本国憲法の誉れ。

そんな即席憲法がどんなに恥ずかしいからって、正統のように扱うな、学者ども。

(法学者くらいは現憲法を重んじなきゃ、日本社会は大混乱…
なんて見方が成り立ちそうだけど、たとえ混乱に陥ったとしても、それが正道の生みの苦しみ、って見方も成り立つわな。)



安保法制への違憲発言に対抗し、自民党は、ちょっとしたキャンペーンを始めた。

「安保法制化によっても、日本は、米国の戦争に巻き込まれることはありません」

が、
政権政党が発した、これほどデタラメな文言は珍しい。

既に湯川、後藤両氏が安倍の政策に「巻き込まれ」、ISISに惨殺されてるじゃねぇか…

良し悪しのことじゃない。

ことを安易に捻じ曲げ、軽口を叩くのは、選挙区だけにしとけ!ってこと。

言い出しは、後方支援でも、物事には必ず順序があって、それは、強権に都合よく、いずれ、変えられる。

消費税増税と一緒。

米国の都合で、これから、どんどん死に行くだろう日本の若者らに向け、
似非保守を騙ってきたような戯言を叩かず、せめて、真摯に、実直に見送ってやれ!ということ。


そりゃ、
大好きなアベッチや、自民党の従属質に反する若い支持者なんていないんだろうし、米国人に差し出される命として、徴兵制さえ許容し、見事に散って行くんだろうけど、
でもさ、
変じゃない?

君らが一生懸命、米国のために命を散らしてる最中にあっても、

竹島は奪われたまま。

尖閣は脅かされるまま。

米国がロシアへの口封じに差し出した北方領土は、話し合いさえできないまま。

護国ってなに?

保守ってなに?



安倍の執拗な米国依存と、それが言う改憲は、全くの矛盾。

米国は、自産憲法の問題を認めない。

が、70年が経ち、情勢は変わり、日本の米国隷属も板に付き、米国人が安心して日本人を盾にできるようになったと思えば、自産憲法修正は起こり得る。

そう考えれば、安倍の改憲矛盾が、矛盾でなくなり、むしろ整合する。

そして、
奪われた領土をほったらかし、利権に塗れ、他国のために馳せ参じ、戦い、或は死んでいける、本分を見失った哀れな国会議員と兵士は、保守主義者と言わない。



米国迎合の問題は、それが深まれば深まるほど、国家存亡の要、領土保全足る竹島奪還の機会が遠のく実情にある。

どうして安倍は国際法廷への提訴さえ投げ出したか?

それらこそが、奪還を最優先すべき状況へ押し上げてる。

迎合は権利意識を崩壊させ、闘争、論争は国を決起させる。

戦後体制は、昭和の整理を怠らした。

だから、南鮮に敵対することで、日本の昭和を封じ続ける米国と堂々対峙する。

そこにこそ、日本の主権が立ち上がる。