2015年12月3日木曜日

転載) 12月2日 辺野古代執行訴訟の第一回口頭弁論開始


沖縄の苦汁は日本国民が共に背負い続けるべきもの。

が、

それが必ずしも叶えられない部分がある。

地理上の要件としての核心だ。

知事が、どう否定しても、台湾族を含めた対支那・国防戦線上、沖縄が最前線に置かれるのは必須で、それは、米軍のせいでも政治のせいでも、まして国民のせいでもない。

今なお日本領侵犯を繰り返す支那のせいだ。



鳩山末成りは、ここを履き違えた。

「米軍施政権下」と揶揄する知事も誤解してる。

日本が主権を回復するための最大目標は米軍排除。

が、

米軍が去った後には、その地を、それ以上に活用すべく日本軍の収用があって、初めて目標の意味を成す。

知事が言う「美しい海」は軍備のために更に埋め立てられる。

結局、戦闘機が轟音を立てて行き交う沖縄の状況は変えられない。



3000年の歴史が変えられなかった支那の蛮性。

それを、今更、どうできるのか?

危機制圧のため、米軍も日本政府も戦わないなら、せめて、軍備を盾に、その悪性を圧し止めておくほかない。



翁長雄志(おながたけし)知事の孤軍奮闘ぶりは、感心する部分もあった。

が、方向違い。

この人は、単純な感情論を、実態の歪曲と、都合の良い誇張によって正当化しようとするクセがあるようで、思考が行為に追いついてない。

その典型が、「在日米軍に抑止力はない」とした発言。

たとえ、米軍が只の一度も安保体制下に実働してないことを皮肉ったとしても、この物言いは理に適わず、思慮の低さを晒した。

腕力への最大防御が腕力であるように、抑止力のない軍備は有り得ない。



今回も、また無茶を言ってる。

「日米安保の正当性を国民に問いたい」。

が、

国民の答えは一つじゃないし、本来、ことの善悪を多数が決するべきじゃない。

日本は、「リンチ」を生んだ米国と違うからこそ、独自法廷が生まれたんであって、そこは、国民の判断を仰ぐ場所じゃないし、国民の声を求めてない。

(陪審員制は私刑の延長で、全く自民・米国主義の愚の骨頂。)

っていうか、

その都度、国民個々の感情が左右する法廷判断に従う誰がいるのか?



こんな、安易さで最高裁まで乗り切れるのか?

これが、果たして、県民が担保するに値する法廷なのか?




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