2015年6月12日金曜日

特設リング: 「釣りをする人って、歴史に興味は無いんだな」へ本気返答


ガメチンの某所に某人から上タイトルの文言が投稿された。

それこそ、釣り好きの歴史学者なんて幾らもいるだろうから、「だな」で決めつけたのは、全く単純な誤解だ。

某人が、それを理解できれば、それで済ませるが、
ガメチンをからかってたり、ケンカ売りたさにゴロツいてきたんなら、トコトン相手してやる。

ありがてぇだろ?

で、今後のためにも、ここを作った。


こっちの言い分としての、先ずは、自分の歴史観と、ガメチンHP上での扱い方。


自分にとっての日本、及び佐渡島史は、楽しみじゃなく、痛みなんだよ。
憂いであって、不憫…


例えば、日本の支那影響による仏教伝来。
近代以降、時代の節節で困難とブツかりながらも、総じて、仏教は、皇室の恩恵による、国民の並々なら厚遇を受けながら、発展してこれたと思う。

が、果たして、僧らは、皇室や国民の思いに応え続けてきたのか?
支那の思想と言い換えられた蛮性に塗れ、感けてこなかったと言えるのか?

しがない自分のウン十年の人生経験からは、強く、そこへの疑念が湧き上がってる。


また、
佐渡金山は、世界遺産化への宣伝文句の通り、ホントに徳川300年を支えた、或は、世界最大規模鉱山として日本が誇るに相応しいものだったのか?

だったら、無宿を理由にひったてられ、重労働と水害に泣く鉱夫らの、無縁仏として忘れ去られるしかなかった哀れな末路は何だったのか?

佐渡奉行として鉱山下に「相川町」を造った大久保が意気揚々と采配を振るえたのは、せいぜい4-5年。
採掘が進み、山の変化が大きくなるにつれ、坑道は度々水害に晒され、採掘量に影響するようになった。
最大問題は、地下水じゃなく、雨後の鉄砲水。

大久保の残りの5年は、この水害対策に費やされながら、確たる効果を出せず、その責任を問われて任を解かれるに至り、
それ以降の金産出量は、縮小の一途を辿る。

この佐渡で、
国政が持たざるを得ない国家主義的部分と、民衆の弱性生活観が成す人道主義のブツかり合いが表面化するのは、明治に入ってから。
発端は、米騒動。
それが、鉱山労働者が先導したとされる、相川暴動へと繋がった。

が、
国家は国家でなければならず、国民は生活せねばならぬ個々の時代において、現代が、善悪、良し悪しに分け、断罪できる筈がない。

時代の哀れ、痛みとして、後の国民は、それを受け入れ、論ずるより黙って手を合わせるべきで、
現代おちゃらけ大衆主義塗れの大馬鹿のオタ公どもが、佐渡・観光協会サイトの如き、「遊女は相川名物?」などと、その断片を嘲り、からかい、笑うことを、時代を受け継ぐ者は放置してもならない。


もう一度書く、
日本、及び佐渡島史は、楽しみじゃなく、痛みなんだよ。

その自分の痛みを、たとえ自分のHPでも、一部に仄めかすことがあっても、これ見よがしに巻き散らかさない。

佐渡の釣りを楽しみたい人を、より優先してるのが、ガメチンHP、16年の誇りだよ。

佐渡汽船リンクは、さすがに無ぇけどさ。


普通の人の心とか、想いにはな、
他人が知る由もない、長い長い葛藤の変遷ってものがあるんだ。

黙ってるからって、そっちと違って、誰も単純じゃねぇんだ。

そっちの頭で決めつけられる何1つとして、世の中に無ぇと思え。


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