2015年8月17日月曜日

後の子供らに謝罪習慣を残さないためには謝罪しない以外にない


「未来の子供達が謝罪を続けなければならない宿命は避けなくてはならない」ために、今、また、謝罪を繰り返すとは、
全く破廉恥。

その言い回しは、詐欺師の詭弁、虚言レベル。

さすが、70年、似非保守を騙り続けた売国政体、詐欺師政党の御大将だけのことはあるし、
詐欺天国に日本を引き摺り落とした張本人らとしちゃ、本望だろうさ。

が、
米国主義に墜ちた国会、利権に墜ちた小選挙区同様、その「宿命」論に道理はない。


安倍が謝罪を繰り返した最大の理由は、簡単。
70年間、それが国会によって繰り返されてきたため。

繰り返されてきたのは、
関係上、それが最も簡易な現状維持策だから。

つまり、冤罪による国の謝罪こそは、怠惰、無責任、恥知らずの真骨頂以外、何ものでもないってこと。

そして、
詭弁によって抜け抜け、それを正当化しようと謀る、安倍の安易さ、滑稽さ、
それを真に受ける大衆主義の間抜けさは、
一層、日本を主権から遠ざけ、
国領奪還の道、真正保守の道をも遠ざけ、
70年続けてきたデタラメを、更に70年、続ける以外、道は失う。



70年は、人の一生。

人の一生分、続けられた濡れ衣のための夏の謝罪習慣は、日本独自の自虐行事じゃない。
謝罪は、相手がっあってのもの。
だから、
日本の謝罪習慣は、金をばら撒かれる世界の受益習慣でもある。

そこで、一国の政体代表ともあろう総理が、
「オレは、お前らのために土下座してやるんだ」と、後の子供らに恩に着せ、そこに己の怠惰と無恥を摩り替え、踏ん反り返ってたって、
それは、所詮、70年繰り返された国会習慣。

さて、
戦後、謝罪の場面しか見てない、知らない、「恩」を着せたバトンを渡される後の子供らは、
それを倣う以外に、
一体、何ができるのか?

今後一切、謝罪要求をしない、なんて確約さえ無いまま、繰り返された安倍の謝罪と宿命への妄言御託。

ここで止められなかった世界習慣は、来年も、20年後、50年後も、謝罪を要求するぞ。

その時、国会にいるだろう、後の子供ら、
米国主義の、小選挙区の申し子らに、
習慣を繰り返す以外、どうしろって言うのか?

子供らの宿命とは、
卑怯者の正当化に利用されることじゃなく、教育を受けること。
それこそが、
謝らないための術であるべきじゃないのか?

2流秩序の世界がホントに求めてるのは、金でなく、感謝でなく、より低秩序の米国でもなく、
敬意、リスペクトなんだよ。

それが、謝罪習慣を断ち切り、被害者気取りの盗人国家から奪われた国領を奪還し、主権力を示す日本であるべきじゃないのか?


卑怯者、安倍晋三。

どう思わせぶったって、「恩」を着せたバトンは、所詮、主権忌避のバトン。
責任逃れのバトンじゃねえか。

習慣を止めるには、謝罪を止めるしかない。
子供でも分かる道理だ。

謝罪を繰り返すのは、己に、それを止める意思がないからだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿