2016年3月3日木曜日

産経コラムは時々興味深い: 「日本人ノーベル賞にいちゃもんつける国」


http://ironna.jp/theme/380

もっとも、ここで興味深いのは本編でなく、最後のアンケート。



「日本人によるノーベル賞ラッシュの最大の要因は何だと思いますか?」

について、回答が三択。

「探求心」「想像力」「基礎学力」



「探求心」と「想像力」って一緒じゃん、とか思うけど、だんとつトップは「探求心」で、基礎学力と想像力が続く。

ここで一番分からんのが、「基礎学力」。

つまり、高学歴を言いたいわけ?

それを選ばせる産経も含めて、低学歴にケンカ、売ってる?



ガメチンを荒らした京大出で、米イエール大学院出の腐れみたいなのばっかり?

でもね、探求心と想像力が結びつけられない程度の頭で、低学歴にケンカ売ってる産経も、お前らも、一番大事なこと、見落としるよ。



近代、最大の定義、、

基礎学力は模倣しか生まない。」



その産みの親は、然もあらん、支那と朝鮮。

生まれながらに画一的で、横並びが宿命の想像力無き蛮性が学べるとすれば、基礎のみ。

日本で、米国で、只管基礎を鍛え上げた両蛮族の、その末路を、皮肉にも、上記コラムが検証してる。



どっかの若いコが「団塊の世代」に掲示板でゴロツイてた。

「競争し、相手を蹴落とすことが必定だった団塊の世代は、価値観を他人と共有できない。」

ところがだ、このボケチンが得意になって横柄さを振りかざしてるネットの共有スペース、掲示板は、団塊の世代が作ったもの。

しかも、とうに、その世代は、それに飽きちゃってるだけの話。

このボケチンの問題は、時代と世代への想像力の欠如。

それは、取りも直さず、共産化の権化、全体主義教育の集大成、日教組ロボットの終末形だ。


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