2015年9月21日月曜日

転載) 人質法制: 米国は即席日本国憲法が70年間罷り通ると思っていたのか?





明治時代以降の立憲君主制は近代日本の礎。

君主、国民それぞれが、地位上に憲法を遵守することによって維持される社会体系、つまり、民族主義に基づいた国体こそが、日本国家の源。

ところが、現憲法に日本民族の血は一滴たりとも流れていない。

この矛盾に目を背け続ける政体と、その支持層、法律的に過半数、実際的に30%の国民は、日本人足らざる、果たして何ものか?



1951年のサンフランシスコ講和条約によって、文言上、日本は主権を回復する。

しかし、
米軍は駐留を続け、米国支配が続いた。

駐留の目的は、疲弊した日本の安全保障。

にも拘らず、1952年の南鮮・竹島侵攻に米軍は動かない。

その後、今の今まで、在日米軍は、只の一度も軍事的機能を果たしていない。

何故か?

単に、
宿敵、支那・ロシアに睨みを効かせ、日本を防護壁に仕立てながら、安全をネタに日本人からタンマリ巻き上げる絵図なのか?

が、それは、現在のアジア情勢。

当初は違う。



支那の万里の長城が完成されなかった理由についての一つの仮説を読んだ。

万里の長城は外敵から領内を守るために建造が始められながら、計画が壮大過ぎて途中で立ち行かなくなった、というのが定説。

仮説は逆。

長城は、支那族の不良統治によって地域内で起こる反乱拡大、それに伴う集団逃亡を防ぐための内的防壁だったが、度重なる混乱の煽りで建造が頓挫した、というもの。


思うに、
米国は、1951年以降、むしろ日本国内の武力蜂起に備えて米軍を駐留させ続けたんじゃないのか?

そもそも、当時の支那・南鮮は、米国の敵じゃない。

だから南鮮は竹島を、まんまと、せしめた。

同じころ、尖閣を指を銜えて眺めていただけの、覇権主義に踊る今の支那の悔しさを思えば、執拗な、そこへの執着は、理解に難しくない。

ロシアにしたって、米国から北方領土を譲られ、ホクホクだった時期。

だとするなら、在日米軍の勲章、只の一度も外敵に機能していないのは納得で、

米軍による日本の防護壁は、逆説・万里の長城だったとも言える。


このことは、
1978年、自民政権下で行われた米軍基地で働く日本人給与の肩代わりをする「思いやり予算」に繋がっていく。

この年、米国は、ほぼ永久的に日本国内での武力蜂起の可能性が無くなったと踏み、米軍駐留を続ける大きな目的の一つを排除した。

そこで駐留軍の規模縮小が日本政府に伝えられ、腰を抜かした裸の王様、お山の大将らは、「思いやり予算」によって哀れな依存心を満たした、
のかも知れない。


この1978年は、憲法改正の機会として大きな意味を持つ。

というのも、
米国が最も警戒しただろう国内武力蜂起は、純正日本国憲法発布への二つとない国民的原動力になった筈だから。

つまり、
終戦の年、1945年から少なくとも33年間、米国は、自産・即席日本国憲法が日本国民によって一変する事態を前提にしていた可能性がある。

それは、また、
米国が、そこでの影響力を、絶えず、最大にするため、在日米軍を利用し続けた背景が見えてもくる。



なんと慎ましく、従順で、哀れで無知な日本の政体支持者らか?

一方で、
33年もの間、米軍が、世界屈指の腕力で真正・保守勢力の首を捩じ上げながら、準備万端、改憲へ挑んで来る政治家らを待ち構えていた筈の時代に、
それと決して向き合わず、取り組まず、挑みもせず、
国民を先導するどころか、常に欺き、安倍法制並みに、只管、逃げ道を探り、綺麗ごとを並べ、貴重な改憲機会を棒に振ってきた、
なんと、
卑猥で、卑賤で、卑小な政治家どもか?

それでも国家として日本が成り立つのは、皇室があるゆえ。
その下に今なお国体が生じるゆえ。

が、
幸か不幸か、日本の国体は、体系であって、政治家どもや、その支持者らと共に、米国へ負ぶさるための身体は無い。

そして、この政体が続く限り、70年先も改憲は起こらない。



何度でも書く。

安倍法制は、自ら進呈するだけの人質法制で、役立たずの欠陥法制だ。


国際貢献が目指すのは、均等関係。

金のばら撒きでは足りずに、人命をばら撒くための根拠たる安倍法制にあって、
更に、
どうして日本の侵略国、戦犯国の容認、従軍慰安婦への謝罪が必要とされるのか?

赤字国威もいいところだ。


また、
国防が目指すのは主権維持。

竹島奪還を忌避したままの軍事的在日米軍基地支援が、どうして主権維持に繋げられるのか?

そこで維持されるのは、日本の主権でなく、米国の日本支配権。

そこまで米国に依存し、支配されたいなら、他所でやれ、間抜けども!


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