2015年2月28日土曜日

蛮性・橋下市政が国体を足蹴にする大阪都構想、断固反対


天皇陛下より戴いた内閣総理大臣の命をもって、橋下・都構想へ賛辞を贈った安倍晋三総理。

リンク切れ: http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150117-OYT1T50142.html?from=ytop_main3
「憲法改正・都構想巡り、首相と橋下氏エール交換
首相は14日に出演した関西テレビの番組で、橋下氏が進める「大阪都構想」について「二重行政をなくし、住民自治を拡大する意義はある」と持ち上げた。また、衆参両院の3分の2以上の賛成が必要な憲法改正の発議について、「与党だけではできない。維新の党の賛成で多数を構成できればいい」と述べ、連携への期待感を示した。
2015年01月18日 09時13分」

そして、国民信任により、保守・国会議員の命をもち、その責務、原生を顧みることによって今を正すべき自民党から、似非保守ゆえの化けの皮を剥がすに苦労は要らない。

内閣総理大臣こそが、このザマだ。

二重行政を批判しながら、多重行政の頂点、国会で、伝統、格式を見くびり、権威ばかりを貪る。
靖国神社参拝は、そこへのパフォーマンスで、むしろ、志のない証拠だった。
だから欧米からの批判に、土下座会見もワケない。

それが、次期渡米で頼まれもしない米議会演説をご所望らしいから呆れ果てる。
この安直さは、お気楽大衆主義者以下の何者か?



都とは、皇居の印。

「者」とは、考え、意志、目的を持った人の意。
「阝」とは、山、塊りの意。

嘗て皇居は、宮処(みやどころ)と言われ、それが都(みやこ)に転じたと言われる。

つまり、都とは、皇室を奉るために人々が集まった場所。

それが地域化したのが「京都」の始まり。
そして今の東京都がある。

何故、京都府が「都」に名乗り出なかったのか?
それは、京都府民が最も「都」の意味を知ってたからじゃないのか?
僕たちは、それを見つめ直すべきだ。

『最も重要なことは、二つと有ってなりません。
「都は皇室を以て首都と成します。」
それに変わるもの、また、例外はありません。』


習わしは文化で、それを保ち守るのが文明。
文化の原型らしいものが生まれても、その発展、進化を、自ら壊し、むしろ拒み、文明から永遠に取り残されたアジア大陸東端と、半島の救いのない蛮性を見ろ。

日本にだって有る。
佐渡市の即席・世界遺産化など、蛮性以外の何ごとか?

また、ISISに殺害された後になって、後藤氏の行為を「蛮勇」と侮蔑した自民党副総裁・高村正彦こその卑怯な蛮性も見逃せない。

目立ちたいばかりで拙い市長の「ワレが都」気取りのために、大阪府民が、その蛮性へ、地域諸共陥って良い筈がない。

隣府、京都を見失うことなく、

橋下へ断固たる否を。


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